Torso



          〇          〇



 夢を―――なくした時間の夢を観る。

 色が失われたモノクロの夢。

 いつも違う景色を、あきもせずに赤が彩っている。

 まるで自分の犯した罪を見せつけるように、褪せることのない赤が俺の夢を染める。

 それでも俺は夢を見る。

 もう俺にはそれしか残されていないから。
 
 償い方を忘れてしまったから。

 だから―――今日も夢を見よう。

 とても優しくて。

 ひどく残酷な。

 御伽のような、うたかたの夢を。


/永遠‐False〜第二章




 悪趣味な装飾が施された大きな扉。

 その前に立ち止まると、俺は外套から銃を抜いた。

 少しくすんだ銀が月明かりに鈍く光る。

 これまで変わらなかった―――きっとこれからも変わらない感触。

 消えかけた香りが鼻腔をくすぐる。

 煙草と硝煙と血、そしてかすかな金属の焼けた匂い。

 その香りに、銃を握るときに似た感覚―――

 ほかの何にもない懐かしさを感じている自分に気づく。

 両手と脇腹の傷が、そして全身に刻まれた無数の傷が疼いた。

 きっと俺の過去の記憶―――この懐かしさの源は常にこの無数の傷痕と共にあったんだろう。

 この痛みは、昔の俺がずっと感じていた痛みなのだろう。

 俺は銃口を扉の留め金に向け、そして。

 ゆっくりと緩いトリガーを絞った。



『……仕事か?』

『ああ、今回は“装飾”の方じゃなくて“研磨”の方だけどな』

 いつもの薄暗い場末のバーに入るとリディンがいた。

 俺が問うと、リディンは頷きながらグラスを傾けた。アルコールそのものに近い、

 ほとんど色のない液体が揺れる。

 死体装飾士の仕事には、誰が分けたわけでもないがいくつかの種類がある。

 文字通り死体に偽装を施す―――飾りつけをする“装飾”

 その人間の死ぬ瞬間を美しく魅せる“演出”

 そして今回の“研磨”―――対象を殺し、その新鮮な死体を装飾する。

『ターゲットはジョルレイル=プリエ。“教会”のお偉いさんだとよ』



 留め金を撃ち抜かれ、教会の扉は簡単にその役目を終えた。

 ガタガタと音を起てる扉を押し開き、建物の中に足を踏み入れる。

 大きな窓に填められた毒々しい色のステンドグラス。

 幾つも並ぶ木製の長椅子。

 見た目だけは何よりも―――本物よりもホンモノに似た“教会”という建物。

 その先に一際高くなった祭壇らしき場所があり、

 骨董品のような大きな十字架が置かれている。

「………」

 無言で十字架に近寄り、磔にされている咎人の姿を見上げる。

 蝋燭の弱い光に照らされ、十字架の上の受刑者は薄く笑っていた。

 まるで天上の神を―――自らの罪を裁いた者を呪うかのように。

「その彫刻は[ 大戦 ]以前、ある名も無き芸術家が造り上げたものです」

 燭台の上の焔が揺れ、俺は視線を声の方に向けた。

「神々の審判を座して受けいれるのではなく、

 審判を下す絶対者である神ですら嘲笑う永遠の咎人。
 
 かつて神の子と呼ばれた男とともに裁かれた二人の盗賊の片割れの彫像ですよ」

 声の主は彫像とよく似た薄い笑みを顔に張り付かせたまま言葉を続けた。

 白い外套に金の逆十字―――神官の制服。

 俺は静かに、銃口をその牧師に向けた。 


 
 琥珀色の液体に浮かんだ氷が微かな音をたてる。

『不老……不死?』

 何度目かの問いかけが喧騒の中に消えてゆく。

『ああ。なんでもそのジョルレイルとかいう牧師、

 ずっと昔からそいつの研究をしてるらしいぜ。

 その実験に教会が運営してる孤児院のガキどもを使ってるんだと』

 ガキどもも可哀想によ……

 ルディンがうつむいてぼやく。

 死。

 いつでも誘いこめるもの。

 いつでも呼びこめるもの。

 永遠という形状(カタチ)のない概念の一つの具現(カタチ)。

『…っ……』

 まだ見ぬその牧師のことを、俺は嗤った。



 教会の床が赤く染まる。

 胸を撃ち抜かれて倒れ伏した牧師―――

 ジョルレイルは、それでも笑みを消そうとしなかった。

 おかしくてたまらないのをこらえているような表情で俺を見上げ、途切れかけた声で呟く。

「やはり……我々は罪から逃れることができない……」

 死に瀕してもなおぶつぶつと呟きつづけるジョルレイルを見下ろしながら、

 俺は奇妙な感覚の中にいた。

 銃を握り締めたとき。

 かすかに香る血と、うっすらと漂う硝煙の匂いを嗅いだとき。

 それとよく似た―――懐かしさ。

 やがてジョルレイルは気が済んだかのように穏やかな表情を浮かべた。 

 俺はその顔にもう一度銃口を向ける。

 その瞬間、牧師は突然目を見開いた。

 あの空のような、濁った色の眼が俺を見る。

「さよならですよ。―――ギルィ。
 
 貴方に我らが神の祝福と救いがありますように」

 ……俺が引鉄(ひきがね)を絞るより一歩早く。

 彼はもの言わぬ死体になった。



 装飾を済ませて祭壇の裏に隠された階段を降りると、そこはイビツな死で溢れていた。

 あどけない顔を苦悶に歪めた少年の頭部。

 何かが切り分けられたのであろう手術台に残った真新しい血の痕。

 金属のかごに無造作に入れられたまま腐臭を放つ幾人分かの身体のパーツ。

 これも彼の“実験”なのだろうか。

 ……

 さらに奥に進むと、今度は歪んだ生が満ちていた。

 試験管の中でこちらに視線をあわせる、肌色の奇妙な生き物。

 汚れた水槽の水の中、チューブに繋がれ力強く脈動する心臓。

 千切れた手首から剥き出しの脊髄をだらりと伸ばし、時折思い出したように震える白い手。

「………」

 机の上に置かれた書きかけの書類。

 そこには彼の“実験”の工程が事細かに記されていた。

 なにげなくそれを読み、やがて興味を失って捨てる。

 上げた視線の先には、一枚の閉ざされた扉があった。

 
 
 扉の奥にあった階段をさらに降りた場所。

 そこへ通じる扉を開くと、眼に光が飛び込んできた。

「っ―――」

 一瞬目が眩み、やがて白いだけの視界に彩が戻る。

 そこは墓場だった。

 どういう仕掛けなのか、

 はるかに高いところある採光窓からさんさんと暖かな光が降り注ぎ、

 中央に設置された円筒形の水槽のような物を規則正しく囲む墓石の周りには

 柔らかな草や小さな花が根付いている。

 周囲の壁は繁殖した蔦に覆われ、元の姿が想像できないまでになっていた。

 まるでこれが地下だとは思えない―――枯れ果てた地上などよりもよっぽど地上らしい場所。

「“翼の庭”……か」

 扉のすぐ近くにあった墓標には、古い文字でそう刻まれていた。

 “庭”―――まさにその通りなのかもしれない。

 ここを創った者にとって、そしてジョルレイルにとって―――

 この場所は大切な庭園だったのだろう。

 近づいてよく見ると、どの墓石にも名前がなかった。

 ナンバーのような何桁かの番号が刻まれただけのそれは、

 長い年月の名残かずいぶんと苔むしている。分類を示しているのか、

 どのナンバーにもアルファベット記号がついていた。

 やがて俺は中央の水槽の前で足を止め、その中に揺れる人影を見上げた。

 小さな泡が時折浮き上がる以外、何一つ動かない水層の中には、

 透き通るような白い肌の少女が眠るように浮かんでいる。

 長く色素の薄い―――そのせいで金色に見える髪。

 その髪に縁取られ、穏やかな微笑みを浮かべた顔。

 それらすべてが作り物のように整っており、それゆえにどこか人形めいてすら見える。

 水槽を固定している台座には、墓標にあったのと同じ、古い文字が刻まれていた。

 短いその文章のあとにこの言葉を残した者の名前が刻まれていたようだが、

 長い時にさらされたせいか、文字は判読できないまでに風化していた。 

 その文字の名残を指でなぞる。

 するとその仕草が合図にでもなっていたかのように、突然水槽が鳴動を始めた。

 台座の奥でなにかのギミックが作動し、

 かすかな振動を伝えながら水槽の中に満たされていた粘性の液体をどこかへ排出していく。

 液体が半分ほどの量になったとき、

 それまで身動き一つしなかった少女がわずかに身体を動かした。

 水槽の底に膝をつき、そしてゆっくりと両目を開く。

 ベルベットグリーン―――創られた緑の双瞳がまぶたの下から現れる。

 しばらくそのままの姿勢で動かずに俯いていた少女は、やがて静かに俺を見上げた。

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