Torso
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〇 〇
ふと、考えたことがある。
穏やかに生きるということ。
怠惰でもなく。
惰性でもなく。
当たり前のように明日に希望を抱き、当たり前のように明日に怯えながら。
穏やかに生きて、穏やかに死ぬ。
もしかしたら自分が歩んでいたかもしれない道を、想ったことがある。
そんな自分に、微かな吐き気を催しながら。
/平穏 Ever Green end〜第二章
目の前には出来立てのスープとパン。
質素だが、普段食べている合成食にはない、不思議な暖かさがそこにあった。
「どうかしましたか?」
料理に手をつけようとしない俺を怪訝に思ったのか、アリアと名乗った少女が首を傾げる。
淡い亜麻色の髪に薄いブルーの瞳。どこにでもいる、平凡な少女に過ぎない。実際にあの光景を見なければ誰も彼女が兵器だなどとと信じないだろう。どうしてただの兵器にこんな容姿を持たせたのか。旧時代の科学者の考えることは理解できない。
もっとも、俺が料理に手をつけない理由はそんなところにはない。
無言でテーブルの向かい側に座った、さっきから仏頂面でこちらを睨んでいる女―――"自称"アリアの姉だというマリアを顎で示す。
「……なによ」
「お、お姉ちゃん…」
明らかに機嫌を損ねている声。
なんとかとりなそうとするアリアの声にも力がない。
「アリア」
「……えっと、なにかな、お姉ちゃん?」
「なんで、コイツがここにいるの?」
不安げに顔色を伺うアリアに、マリアの声はどこまでも厳しい。
「だからさっき説明したじゃない。買い物帰りに通りがかったらこの子が悪い人に襲われてて―――」
言いながら俺の隣で相変わらずに無機質な瞳をスープに向けている翡翠の少女を示す。
「あんたがそれを助けてあげたっていうんでしょ?」
「うん。だってほっといたら大変なことになりそうだったんだもん」
「そこまではいいわよ。あんな人目につきやすい場所で"祝福"使ったことはあとでちゃんとお説教するけど。で―――」
もう一度。俺と少女を交互に見る。
「な・ん・で。この得体の知れない二人組が私たちの家にいて、しかも夕食で同じテーブル囲んでるのよっ!」
大きな声にアリアがびくりと肩を竦める。
「た、たまにはいいじゃない。ご飯はみんなで食べたほうが美味しいよ?」
「楽しく食べれる相手ならね。聞いたらこいつ、死体装飾士なんだって? ただの人殺しじゃない。物好きも大概にしときなさい!」
「悪い人とは限らないよ。ご飯くらいいいでしょ?」
上目使いのアリアを疑わしそうに眺め、マリアはさらに訊ねる。
「……ほんとにご飯くらい、なの?」
「え? えっと……その、一晩くらいなら、泊まってもらってお話したいなあって―――あの、お姉ちゃん、目が怖いよ……?」
雷が落ちる。
その様子を他人事にように眺めながら、ため息を吐く。
本当に。
俺はこんなところで、何をしているのだろう―――
結局、その日はアリアの家―――正確にはマリアの家なのだろう―――に泊まることになった。
お話とやらをするなんて御免だったが―――それ以外はどうでもいい。どうせどこで寝ることになっても違いなどない。いちいち断るために口を開くことすら面倒だった。
「ちょっと」
ギスギスしたまま食事を終え、しきりに話しかけてくるアリアを無視してあてがわれた部屋へ行こうする途中、先に引っ込んでいたマリアに背後から呼び止められた。
「………」
無視しようとすると、後ろでカチャリという、馴染み深い音。
振り向くと案の定、無骨な銃を構えたマリアの姿があった。
「話があるのよ。きなさい」
女の部屋どころか他人の部屋など気にしたこともなかったが、それでもマリアの部屋は奇妙だった。様々な電子部品や機械。スクラップから掘り出されてきたようなそれらが、きちんと整理されて並んでいる。
「技師か」
「ああ、やっぱりわかる? フリーだけどね」
科学者の大半は[ 大戦 ]で死亡している。生き残った数少ない科学者たちはそのほとんどが教会をはじめとしたなんらかの組織に所属しているが、中にはこういう変り種もいる。マリアもそうした変り種の一人らしい。
ベッドに腰掛けるまでの間、銃口はずっと俺に向けられていた。
「なんの話かは、もうわかってるわよね」
「……さあ」
「とぼけないでよ。アリアがあんたとあの女の子を助けたってことは、アリアが"祝福"を使ったってことでしょ。だったらアレの正体にも気づいてるんでしょ?」
さっきの夕食のときにも出ていた単語。あの天使の能力は"祝福"というらしい。リディンは発電が主な運用方法だったと言っていたが、アレなら充分な"戦力"になるだろう。逆に言うなら、大戦ではあの力では破壊力とは云えなかったということか。
無言のまま視線をそらさずにいると、マリアは深いため息を吐いて銃口を下げた。
「何考えてるんだかわかんないやつね……あんたなんなのよ?」
「さあ。知らない」
「知らない、か。ほんとに何考えてるんだか……まあ、それはうちの妹にしたって同じだけどね」
うな垂れるマリアにふと浮かんだ些細な疑問を投げる。
「あれは本当にお前の妹なのか?」
「アレってなによアレって。人の妹を物扱いしないで頂戴。
………ええ、そうよ。アリアは私の妹。だって私の血がベースになってるんだもの」
こちらには目を向けず、手元の拳銃を撫でる。
「私ね。大戦の頃、軍属の科学者だったのよ」
科学者には二種類の人間がいたのだという。
今の教会の原型であるシンクタンクに所属し、要請に応じて各国に派遣されて兵器開発を行う者たち。
もう一つは、自国の軍にのみ所属していた者たち。
「一応、それなりに高い地位にいたのよ? 今生きてるのだってその時に受けていた延命処置のおかげ。
そこで私は、戦術支援兵器"天使"の開発に携わってた。知ってる? 大戦の頃に運用されてた兵器ってね。ほとんどが私たち人間をベースにした生体兵器なのよ。身体能力こそ桁違いだけど、自己修復する有機的な肉体を持っていて、細かいメンテナンスが必要ない。中には何を考えてるのか生殖機能まで備えてるやつまでいたんだってね」
本来は医療用だった遺伝子技術。
転用するのは簡単だった。
「生体を利用した兵器なんだから、元になる人間の一部が必要でしょ? 細胞の一欠片さえあれば培養していくらでも増やせるけど、その一欠片は誰かが提供しなくてはいけない。それを提供するのは、開発主任だった私としては当然を通りこして当たり前、そもそも疑問に感じることもなかったわ」
そうして数ヶ月。
数百体の、彼女の妹たちが生まれた。
「娘だっていう人もいたけどね。どっちでもいいのよ。私にとっては大切な家族だった。たとえそれが戦場で使い捨てにされる兵器なのだとしても、国を守るためなら―――これから生まれてくる人たちのために死ぬのなら、それは悲しいことなんかじゃない。今でもそう思ってる。」
第一次生産から[ 大戦 ]が終結するまでの間に、数え切れないほどの天使たちが"消費"されたのだと、彼女は語った。
「大戦が終結したその日にね。瓦礫の中に埋もれてる、一体の天使を見つけたわ。身体に大きな傷がなかったから撃墜されたわけじゃなくて、機能不全で緊急停止してたみたい」
奇跡的に生き残った、唯一かもしれない自分の家族を、見捨てたくなかった。
「時間さえ経てば勝手に直るのはわかってたから―――元々生体兵器ってのはそういうものなのよ―――周りの瓦礫をどかしてそこに寝かせておいたわ。
案の定、二時間ほどであの子は目を覚ましたしね」
あ……博士。
わたし、眠ってたんですか?
戦争はどうなったんですか?
「あなたが眠っている間に戦争は終わった。私たちは負けた。勝った側も恐らくはいない。それを教えてあげるとね」
力なく笑って。
―――私、これからどうすれば、いいんでしょうね。
「元々戦争のために生まれてきた兵器だからね。天使は一回限り、初めての出撃で全機能を開放する使い捨てだったし。だから本当にこれからどうすればいいかわからなかったみたい」
だったら私と一緒に暮らさない?
私もこれからどうすればいいかわからないから、それなら一人より二人の方がいいから。
「私は自分の名前からMを取ってアリアの名前を付けてあげた。もう戦うための機械じゃなくてもいいんだって想いをこめてね。
ほら、あの子は私の妹でしょ?」
長い話が終わりマリアにそう問われても、無言のまま俺は頷くことはなかった。
わからない。
何か大きなもの。話の核にある、とても大切なのだろう要素を、俺はまだ知らない。
「結局、お前は何が言いたいんだ」
訊ねるとマリアは一度躊躇してから、真剣な瞳をこちらに向けた。
「あんたは―――あの子のこと探してたんじゃないわよね?」
薄いブルー。
アリアと同じ色の瞳が、そこにあった。
「アリアは人と話したことが少ないから―――人と話したがる子だから警戒心が薄いけど私はそうじゃない。
あんた今朝ウチの前で寝てたやつでしょ? 旧市街は確かに人の出入りがある街だけど、この辺りは店の類だって少ないわ。近所に住む人の顔だって覚えてる。何かの組織に所属してる人間もいない。事前に調べてそうだったからここに住んでるんだしね。
死体装飾士なんて無縁なこの場所で、なんであんたと二回も出くわすの?」
「……さあ。偶然だろう」
偶然だ。
二度出会ったことも。
それが、今探している天使だったことも。
全部が全部、意地の悪い偶然だ。
マリアは俺をじっと見つけていたが、しばらくして息をついた。
「いいわ。どうせ信じないつもりだったから。明日の朝にここから出る。アリアの力はどこの組織も喉から手がでるほどほしいだろうから、一つのところに留まれないことはわかってる」
マリアは銃を枕元に置くと、
「もういいわよ。強引なマネして悪かったわね。
明日の朝にはもう私たちはいないだろうから、後は好きにしなさい。残してあるものはどうしてくれたってかまわないわ」
背を向けて扉に手をかける。
「ねえ」
呼びかけは、小さかった。
「あんた、ほんとに何者なの……?」
躊躇にも似た奇妙な思考の末。
導かれる答えは、それでも同じもの。
「さあ。知らない」
暗い部屋。
扉を開けると、翡翠の少女がいた。
何を見ているのか、部屋の中を見回していた少女は俺に気づくとこちらへと視線を向ける。
その視線を無視して俺がベッドに身体を横たえた。
しばらくして、少女が俺の隣に入ってきたのが気配でわかる。
「お前は……自分が何なのか、わかっているのか?」
答えるものは、いない。
―――相変わらずな薄暗い朝を迎えると、家に彼女たちの気配はなかった。
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